『現場監督』というシゴトについて、今どのような存在価値を生み出すべきで、その為には何を役割り、何を成し遂げる技術者であるか?という事を考えた事があるでしょうか?
今や、『現場監督不要説』が流れ始めていますが、私は非常に乱暴な発想だと常に思っております。
なぜならば、不要説が湧き出る発端には、現場監督というシゴトの価値が見出せていない事からのネガティブな発想でしかなく、裏を返せば、勤めている会社から役割や目的、そしてシゴトそのものの価値を教えてもらえていないことや、何がやるべき事なのかを明確にしてもらえていない環境から引き起こされる罪でしかないと考えているからです。
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今回は、現場監督という存在が、住宅の製造を行うビルダー事業として、原価、売上総利益、営業利益を握り、経営に影響を与える、いかに重要なポジションであるかという事を皆さんにお伝えしたいと思います。
営業部門はあくまで会社経営に対する影響は売上だけですが、工務部門こそ、会社の利益を握るセクションである事を誇りに思い、そのポジションの成果をどれだけ定量的にあげられるかということが、何より現場監督の存在価値に繋がるということをご認識頂きたいです。
優秀なプロとしての現場監督の定義とは、上記に記載の通り、原価、売上総利益、利益をしっかりと計画通りにマネジメントできる能力があることです。
単に難しい納まりを知っているとか、長く現場に携わっている、周りより多くの現場数を持てる、というような感覚的かつ定性的評価ではなく、「プロ」とは必ず定量的な成果でなければいけません。
もしこの考え方に違和感を感じていらっしゃる方は、おそらくプロの現場監督ではなく、職人化した現場監督であるという表現が正しいかと思います。
決して職人化を否定しているのではなく、ただ職人化したならば未来、事業としての承継や仕組み化、または安定性や生産性などの改善を諦める前提であればこれはこれで正しいのだと思います。
ただ、現在の製造環境から導けば、工務店として永く存続していく為には、選択肢は言うまでもなく後者でなければならないでしょう。
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現在、ほとんどの製造プロセスでボトルネックになっている理由は、冒頭にお話しした会社そのものがしっかり存在価値や目的、役割を明確にしていない事と、それを受けて現場監督がどんどん職人化してきた経緯から、現在、人的依存せざるを得ない施工管理体系に根付かせてしまった業界そのものと言えます。
併せて、離職増加やなり手不足も、未だ現場監督というシゴトの魅力を引き出せずにいる事が引き金である事も否めません。
そして品質コストには、予防コスト、評価コスト、内部不具合コスト、外部不具合コストの4つに分類されることを覚えておきましょう。
この根幹の課題解決に着手せず、様々な教育やツール、システムをどれだけ処方しても、根っこを変えない限り対処療法でしかない事を今こそ覚悟すべき時なのです。
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現場監督の管理基盤は、施工管理です。
施工管理とは、工程、原価、受発注、納材、情報管理という5つの着工前にすべき管理と、品質、環境保全、安全管理という3つの現場でやるべき仕事に分かれ、全て8つの役割を果たす事が基本原則です。
この成果が出せた結果として、ムリ、ムダ、ムラが無くなる事で生産性が上がり、結果的にクレームも減り、利益が予定通り確保できるという仕組みなのです。さらには地域事業として顧客を生涯化させるという使命の中、常に最良の引き渡しに執着することがプロとしての役割だと言えるでしょう。
実は、着工前にすべき仕事が最良の引き渡しの8割を決めると言って過言ではありません。
その根幹の理由には、設計図書を大前提に拾い出す原価精度、それをリスト化する受発注精度、そのリストから手配される納材管理精度は、製造に対するムダを引き起こし、工事原価に影響を与えてしまいます。
これでは工程をどれだけ適切に計画をしても、着工前準備精度が低ければ工程計画にムリが生じ、様々なロスが生まれ、結果的に売上総利益にまで影響を及ぼします。
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このような着工前の事前準備力が弱い状況で現場がスタートしたならば、品質管理、安全管理、また環境保全に時間が優先されず、付帯業務に追われます。
つまり施工状況にはムラが生じ、バラついた状況から不備も是正されず、安定した品質や現場環境は最終的に保てなくなります。
これでは引き渡し後の残工事、手直し、クレームなどに追われたり、訴訟や賠償責任を追う程の大損失に見舞われれば、それこそ営業利益そのものに影響を及ぼし、経営状況そのものまで傷めてしまったりする負の連鎖に繋がります。
現場監督とは、製造プロセスを担う現場の総責任者であり、現場経営者だという存在意義は、リスクの裏側に大きなやり甲斐を感じる素晴らしい職業でもあります。
逆にそれを成す為の高いスキルを身につけて行く日々の学習意欲を常に高揚させ、現場監督というプロとしての崇高な価値を見出せる新たな時代であって欲しいと常々願っているのです。